Miracles Happen

~最高の人生を送る方法~

リトルミーと会話してみた!~もう一人の自分の捉え方を変えたら自己肯定感が上がった~

こんにちは!

 

ブログのネタを書いては消して書いては消してしてきまして、

下書きにもめっちゃ色々入っているのですがなかなか

「世に出したい」と思える内容が無く…

 

そんな時、ふとフォロワーさんのお一人から

「あやさんのリトルミーさんとの向き合い方をどんな風にしてるのか

知りたいです」と言っていただき、

 

そういえば、最初このブログを立ち上げた頃と違い、

リトルミー(この界隈で言うところのエゴを私はこう呼んでいます)

との関わり方が変わったんだったなと思い出しました。

 

そして、リトルミーとの関わり方というか、

リトルミーの捉え方ですね、そこが変わってきたことで、

私の自己肯定感がぐっと上がったんです。

 

ここをちょっと書いてみようかなと思います!

 

 

今回リトルミーと向きあうことになったきっかけ

 

4月頃、ちょうど相談サービスを開始することに本腰を入れ始めたのですが、

その前後に今までにないくらい気分が落ち込みました。

 

よく言うところの、”夜明け前は一番暗い”だとか、

”変化の前はネガティブな事がドーンと起きる”とか

なのかもしれませんが、

 

私はぶっちゃけ、夜明け前も明るくいたいし(それもう夜存在してないやん)

変化の前も鼻歌歌いながら毎日過ごしていたいので、

そこは採用したくありませんでした( ;∀;)わはは

 

で、まずはノートに気持ちを書き出してみました。

 

これがなかなかダークでして、

 

・今の私は何もできていない

・悪い事は全て自分のせいだ

・表面は笑ってても心から笑ってないのは人にバレてるぞ

・偽善者やん!

・生きる価値あるのか

・空っぽの人間

 

などなど、ひどい言葉も、ここでは載せられないくらい汚い言葉も

手帳の後ろの方にあるメモ部分にぎっしり5ページ分くらい。

 

そして勿論このようなことを心の奥底で思い続けているわけですから、

帰省した時に義実家で酔っぱらって夫に不満をぶつけまくり喧嘩になりました。

 

自分で自分のことをめった刺しにしていたので、

夫からちょっといじられた事が、お酒が入っていたこともあって

今までにないくらい私を傷つけそうになり、

私は完全防衛体勢、つまり相手をガンガン傷つけるモードになったわけです。

 

整理すると、

 

・夫がいじってきたという現実も私の思考が創り出していて

 

・それが私を傷つけると捉えたのも私が普段からそういう思考をしてたから

 

なので、全部自分発信で自分を傷つけようと現実でして、

それなのに自分守ろうとして人傷つけたってことです。

 

過去にも元彼で何度もやってきてますが、

夫でこれをやったのは初めてに近くて、自己嫌悪で1日

何もやる気が起きなかったくらい。

 

夫は後日仕事を早退してまで、私の話を聞いてくれて

ツイッターを読んで下さっている方はこの辺ちょっとご存知かもしれません。

ツイッターは文字制限あるので詳しく書けなかったのですが、こういうことです笑)

 

私も意を決してノートの内容も見せ、

彼も自分の中に同じような気持ちもあるしよくわかるよと

理解してくれて、お互い謝って、仲直りもできました。

 

のですが!!!

私はこれで終わらないことを経験からよく知っています。

 

というのも、厄介なのはこの「自己嫌悪」

 

仲直りできても、やってしまったことへの後悔はなかなか消えません。

 

もちろん、現実では反省して二度としないように気を付けるしか方法はないですし、

思考の送り出しも、自傷をとっとと終わらせて望むものにベクトルを

合わせていくしかないです。

 

でもこの「自己嫌悪」っちゅーのがそもそも自傷行為なんですよね。

 

だからなかなか切り替えられない。

 

まだまだ自分を傷つける方にベクトルがむいているなとその時思いました。

 

はい、こういう時こそリトルミーと腹を割って話せばならんのです。

 

そこで、ある日、リトルミーを呼び出して

(とか言うとめっちゃ変な人ですけど、単に自分に話しかけるだけです笑)

リトルミーが姿を消すまでガッツリ話し合ってみました。

今回の記事は、その時にノートに会話を書き出したものです。

 

私のリトルミーはかなり口が悪いです。

ご不快な思いをさせてしまうかもしれないので、

汚い言葉やきつい言葉が苦手な方はやめておいてくださいね。

 

 

 

 

リトルミーとの会話

 

私「なんでそんなに自分のこと傷つけたいの?」

 

リトルミー(以下LM)「嫌いだから」

 

私「なんでそんなに怒ってるの?」

 

LM「別に」(エリカ様かよ…)

 

私「夫に、やりたくないこと(家事や育児で今やる気になれないこと)はやらなくていいって言われたやん。

そこもモヤモヤしてるよね」

 

LM「やりたくないことでもないもんね。」

 

私「そう、でもキャパオーバーなんだよなとも思っている。」

 

LM「ポンコツだもんな。マルチタスク無理だし。」

 

私「尖ってんなぁ。。(最近ほったらかしてたしな)そういう言い方

やめておくれよ。」

 

LM「だってほんとのことじゃん、ポンコツ

 

私「いや、わかってるから。マルチタスク実際苦手だし、

うまくやれないし。やれないのわかっててもマルチタスク課しちゃって

いきなり始めてパニックなるし。わかってるから。」

 

LM「わかってないね。わかってるふりだね。

 

私「そうだね、わかろうとしてるつもりなんだけど

(ここは優しく寄り添わねば…)わかってないねきっと。」

 

LM「その態度もわかってないね。わかってるふりだね。」

 

私「なにがいやだったんだ?色々詰め込みすぎ?

自分のペース乱したこと?誰かと比較しちゃってるのか?

私の何が嫌いなの?」

 

LM「…。」

 

私「最近特にひどいよね、お前には無理とか、できるわけないとか。

元彼のトラウマ?そこがまだ残ってる?」

 

LM「やばいね、人のせいにしてるね。自分軸で生きろとか人にいうくせに、

自分は人のせいにするなんて最低。

 

私「そうだよね、反省するわ」

 

LM「そうやってすぐ人の意見に左右されるとこも嫌い」

 

私「じゃあどうすればいいねん(笑)何をそんなにこじらせてるのあなたは」

 

LM「そもそもこじらせてるっていう決めつけがうざい」

 

ここで、私は今回はっとしました。

そうか、リトルミーを

 

・こじらせている

・かまってほしがり

・寄り添ってあげなきゃ

・どんなにきつい言葉を言われても愛してあげなきゃ拗ねる

 

と、決めつけているのは私か…。

 

ここは、今まで実は気づいていませんでした。

 

エゴとかリトルミーとかっていうのは、

寄り添ってあげて、話聞いてあげてよしよしいっぱいしてあげて

落ち着くまで向き合わなきゃと思ってきましたが、

 

そんなヨワヨワのかまってちゃんだと決めつけていたのも

リトルミーの設定を決めているのも私なんだ、と始めて思いました。

 

 

私「ごめん、そうか、そんなこじらせてるとか決めてるのも私か。」

 

LM「そう、それだけは自分が変わった気になってても絶対変えないよね。」

 

私「ほんとだね。変えてなかった。充分満たされた私でよかったのにね。」

 

LM「そうだよ、それでいいのに。

 

いつも”ほったらかしたらダメ”

”できない子のペースでやってあげなきゃ” 

”最近やりすぎだからペース落としてあげなきゃ” 

”寄り添ってあげなきゃ”

っていうけど、そこまでしてもらわんでも自立してるわ!って私が思うことは想定してないんだよね。

 

そういうとこがまじでうざい。自分を自分で下に一生設定して、それを私のせいにしてる。

 

私「え、そうか。それはごめんだけど、私のいまいち自己肯定感が定まらないというか、時々がくっと下がるのってそれなのかもしかして。」

 

LM「当たり前でしょ、自分の内側にいる自分をかまってちゃんの病み病み女子にしといて、表面だけ自己肯定感上がったふりしてんだよ。

 

私「今から試しに、リトルミーをもうちょっと優しい設定してみようかな(笑)」

 

LM「そうしてほしい。私はほんとはこんな意地悪じゃないのにずっと自分を傷つける意地悪な子だと思われているのが悲しい。」

 

私「ごめん、そうだよね。私が私に対して意地悪だっていう設定って物凄く酷いね。

ごめんね。」

 

私はここでちょっと気づいたのですが、私がリトルミーに寄り添って、

リトルミーの話を聞いてきたのは結局、

「リトルミー(エゴ)を黙らせるため」に過ぎなかったということです。

 

例えば、誰かと話していて、ちょっと傷ついた。

でも、すぐに切り替えて捉え方を変えたら相手の口調も穏やかに。

 

ということがあったとして、帰ってから、

「でもあれは傷ついたよね。よしよし。」をして

「捉え方を変えられた私えらいね、よしよし。」をしてきました。

 

これをしないと、どこかで爆発するかなと思っていたからです。

傷ついた私はどこかで感情をリリースしないと、と。

 

私「ちょっと疑問なんだが、傷ついた時に悲しい気持ちとかを一緒に

吐き出すようにしてたのは不要だったの?」

 

LM「傷ついてる場合は必要じゃない?

でも、切り替えててわざわざ掘り返さなくても前に進める時はあるのに、

わざわざ”傷ついたよね…”ってやるのはいらないかも。

その傷ついたよねっていうのも思い込みかもしれないとは思わないの?

 

私「やばいな、わけわからんくなってきたな( ;∀;)でもそれも思い込みよな…。」

 

LM「たかだか1回の傷つくシーンでへこたれると思い込まれているのは嫌だな。

あとむしろ、もっと気づいて欲しいのは、”繰り返してること”の方」

 

私「繰り返してることってなんだ…毎回自分を責めるリトルミーを創り出すこととか?」

 

LM「現実で繰り返し見ていることで”もうそれやめるんじゃなかったの?”っていうの
あるでしょ、いっぱい。」

 

 私「あるね…なんだろ、ある。夫がイライラして声荒げるのとか。

自分も爆発するのとか…」

 

LM「もういいんじゃないの、やめて。まだ子供でいたいんなら仕方ないけどさ。」

 

私「大人になるのが怖いのかな。完全なるピーターパンシンドローム(笑)」

 

LM「いや、このまま子供のままで、よくあるじゃん、”あの人は少年の気持ちのままでしたよ…みたいな”それでもいいけど。人生1回だよ。35までやったら充分じゃない?

多分、子供のままだなって気づいてからでも10年以上はやってない?

 

私「大人になったら何が変わるんだろう。そもそも、今大人と子供という境界線で考えているけど、違う表現もあるのかもしれないね。

 

確かに、いつまでも

悲しさや苦しさに敏感で、ちょっとストレスがかかるとかまってほしくなっちゃうとか

それも私の性格として”良し”として、受け入れてたけど、それも必要ないのかもしれないのか。

 

LM「受け入れるのは良いと思うし、本当に辛いことがあったら共に乗り越えればいいけど、元彼のトラウマ思い出すとか、

”私は自己否定しやすい人間だ”と決めつけるのとか、もういらんくない?」

 

私「待て、それだ。私は自己否定しやすい人間だから、自己肯定感を下げないために

引き寄せとかを知って、保つ術を身に付けてきたんだ。」

 

LM「だけど、”自己否定しやすい人間”っていう決めつけによる前提がそもそもどうなんて話

 

私「え、だからいつまでたっても自己肯定感低い感がぬぐい切れないのか」

 

LM「私があなたを否定すると思い込んでるからね

 

私「まじでごめんだね。変えるわ。いや、今すぐはぶっちゃけ無理かも…

もうちょっとリトルミーのせいにするときもあるかも(笑)」

 

LM「それはいいんじゃない?実際私あなたのこと否定してきたんだし。

でもそれを創り出してるのはあなたやで

ってこともわかってくれたんなら。」

 

私「知ったからには変えなきゃね。人生まだ先長いし、自己肯定感高めな生活も

してみてもいいよね」

 

LM「偉そうにならなきゃね。」

 

私「謙虚に、かつ自分は否定しない。」

 

ここでメモは途切れました。

会話はこの辺で私のリトルミーは

寝たのかもしれません(笑)

 

 

”もう一人の私”への捉え方

 

今回私がリトルミーと話してみて気づいたことは、

リトルミーをこじらせキャラに設定しているのも私

だということです。

 

 

エゴ、と表現していますが、エゴとはちょっと違うかなと思うのは、

 

私の場合否定的な言葉を発して制してこようとする声に、

いわゆるインナーチャイルドの思考が入っているように感じています。

(なので、このエゴの声とインナーチャイルド的な印象をを掛け合わせて

リトルミーと呼んでいます。)

 

私は、基本的に”エゴの声も聞いて寄り添えば消えていく”という考えです。

 

なので、「エゴの声は無視する」「押し通す」には半分抵抗があります。

(半分というのは、かなり寄り添っても全然折れてくれない時は押し通すときもあるので(笑))

 

それは、きっとこのインナーチャイルド的な存在を、反発する声の中に感じているからだと思います。

 

「エゴの声は無視する」を否定しているわけではありません。

幼少期の何かしらの影響で、今でもその体験ベースで思考してしまう、ということが全くない人ももちろんたくさんいます。

 

引き寄せ勢には、傷つきやすい、対人が苦手、自己否定が強い等のイメージがありますが、そうとも限らないです。

 

というよりも、いつまでもエゴの声に「インナーチャイルド的な要素」を入れなくても良いのではないかと思いました。

 

私はカウンセラーではないし、ただ自分のそういった要素と向き合ってきた体験談を

こうして書くことしかできません。

これが正しいかどうかもわかりません。

 

ですが、「自分を否定してくる声」を「否定してくる」と決めているのも

自分です。

 

私は、自分を否定してしまう…と今まで何度も落ち込んできました。

 

でも、「自分を否定するもう一人の自分の声が聞こえるから、否定してしまっている」のではなく、

 

「その否定しているもう一人の自分を”否定してくる”と悪者化していたのも自分」

 

このことこそ、自分を否定していることになるのではないかと考えました。

 

これ以降、私はリトルミーを「否定してくるかまってちゃん」設定するのを

やめました。

 

これにより、引き寄せや潜在意識を知ってからずっとあった

二重生活感がなくなりました。

(外と内という意味ではなく、ここではリトルミー立場から考える私と

本当の私です)

 

例えば、はぁー今日は疲れたぁー!お菓子でも食べて

寝る前に好きなお笑いみーよっと。

あ、でも待って、リトルミー的にはそれでいいのかな?

やることはやっぱりちゃんとやってからの方がいいよね?

今ダイエット中だし、お菓子本当にありか?笑

 

みたいな自問自答です。

 

はぁー今日は疲れたぁー!夜用にお菓子買うぞー!お笑い見るぞー!

それだけになりました。

翌日後悔ももちろんありえます。

 

でも、

後悔しちゃった、やっぱりダイエット中はやめた方がいいか。

寝不足だし、お笑いより瞑想して寝た方がよかったかも。

ううん、でもこれはこれで大事なことだ!

良かったということにしよう!と考えていたのが、

 

後悔したー!笑 終わりです。

 

後悔したけど、それでよかったんです。

やったことも、後悔したことも全部良かったんです。

 

そこをいちいち分析したり、整理しなくても

全部「良かった」と言い切れるようになりました。

 

そして、これができるようになったことで、

毎日頭の中が言葉でいっぱいだったのがなくなってきました。

 

本当に小さい時から、20代も、ずっとしゃべり続けてきた頭の中が、

すごくシンプルに自分の選択の全てを肯定してくれるようになったのです。

 

 

 

なんと言うのが一番いいのかわかりませんが、

リトルミーというもう一人の自分の視線を気にせず、

今を楽しめるようになった気がします。

 

もうすでに、そんなことできてるわい!という方にとっては

なんの意味もない記事かもしれませんが(笑)

 

ずっとずっと自分と戦って、自分と向き合い続けてきている。

なかなか自己否定から抜け出せない。

そんな方には、

 

この「自己否定してくる自分」がそもそも自分が創ったものであり、

そもそも存在していないかもしれないことに気付かれると、

世界が変わるきっかけになるかもしれないと思い、

今回この記事を書きました。

 

とはいえ、かまってちゃんで時々子供の私も好きです。笑

なので完全に大人になりきらないまま生きていく選択も

今後していくかもしれません。

 

でも、リトルミーの顔色を伺うことはしません。

それは一見自愛のようですが、リトルミーの尊厳を傷つけているかもしれないからです。

 

せっかく他人軸で生きるのをやめたのに、まだ何かがモヤモヤしているという方は

もう一人の自分の顔色を伺っていないでしょうか。

 

もう一人の自分も、もっと優しくおおらかな自分でいいのです。

もう一人の自分を受け入れる、認める、ということの中に、

もう一人の自分を高めてあげることも時には大切かもしれません。

 

長い長い私の一人会話を最後までお読み下さり、ありがとうございます。

 

この記事が、少しでもどなたかのヒントになれば幸いです!

 

それではみなさま、Viel Spass!!